平成27年度『心とからだの健康講座』を開催しました。

平成28年2月17日(水) 13:15~15:30
とりぎん文化会館(県民文化会館)第1会議室にて

かがみの健康づくりフェスティバル① かがみの健康づくりフェスティバル②

平成28年2月17日(水) 13:15~15:30 
とりぎん文化会館(県民文化会館)第1会議室にて
『心とからだの健康講座』を開催しました。

演題は、「 不安 」について
講師は、野の花診療所  院長 徳永 進

参加は91名で「徳永先生のお話はいつも心がじーんとします」という声を頂きました。


平成27年度『心とからだの健康講座』講演要旨

不安について
1.不安の始まり
 不安はどうして生じるのか。漢字ではウ冠の下に女、と書く。家の中に女がいることが安心の安の字の語源のようだ。
 赤ん坊が家にいて、お母さんにおっぱいをもらって抱かれている姿は、安心の原点のように写る。もっと遡れば、子宮の中の羊水に浮かんでいる図に安心の原型があるのだろう。
 破水後の産道への旅、出生直後に出会う異空間。皮膚が接触するのは温かい羊水ではなく、時には冷たい空気、蒸し暑い湿気、ボーボーと吹く風。思わず身を縮めたり、眠りに落ちて、ぐだーと身をほどいたり。不安の始まりは、出生後の異空間との接触、皮膚の変化、にあるのではないかと思う。
2.不安と成長
 出生の日から、毎日毎日、初めての新しいことに出会う。這うから立つ、立つから歩く、歩くから走る、走るから飛ぶ。どれも冒険的なことごと。不安なことごと。新しいことと不安はくっついている。ブランコに鉄棒、自転車に水泳。どれもおっかなびっくりの不安なこと。不安はあるが、そこを越えること、新しい境地を達することができ、生きていくことに楽しさが加わる。
 未知なことは不安を誘う。不安だからと挑むことをやめると、人生は萎縮する。生きることと不安はセット、と捉えたい。不安のない人生は不毛と捉えたい。
3.病的な不安
 とはいえ、眠れなくなるくらいの不安に人は襲われる。病的な不安なので、不安に罹るといってもよいかもしれない。昔の言い方だと「ノイローゼ」だ。繰り返し繰り返し、あることが心配になる。自分が悪いと自分を責める。先々のことが心配になる。悪いことばかり考える。動悸がする。息苦しくなり、過呼吸になる。前触れなく不安に襲われる。昔のある場面が急に甦る。そうして眠れない。
 会社勤めになると、職場の人間のことが気にかかる。同僚の一言、一仕事、一視線がこたえる。肌が合わない、相性が悪い。急に職域が変わった。仕事についていけない。昇進し、転勤を命じられ、慣れぬ職場に変わった。相談相手がいない、単身赴任だ、会議の連続、心安まる時がない。
 現代社会は近代化された、経済社会。効率とお金を求める社会。ゆったりとは生きられない。心は落ち着かない。この社会の流れにどう対峙すればいいのか。
 一つは、職場を離れ家を離れ、自然と接すること。一つは身体に刺激を与え、身体に救ってもらうこと。一つは、職場以外で自分がしたいこと、自分で自分が納得できることを手にすること。一つは、薬の助けを得ること。そうして一つは、話を聞いてもらえる人を職場以外でみつけ、職場の悪口を言っていくこと。どれも難しい。
 誰もが躓く。躓きながら、土と空の雲をみて、生きていく。